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テーマ別解説

ビールを買う

(1)幕末から明治のビール販売
開港とともに輸入されるようになったビールは、居留地に住む外国人の競売人や輸入販売業者の店で買うことができた。新聞の広告によると、1861(文久元)年には横浜のO・H・ベーカー・カンパニーが、1864(元治元)年には、同じく横浜のA・マークス商会や、輸入販売業のテータム商会、J・アイスラー商会らがほかの酒類、食品などとともにビールを販売していた。

居留地の輸入販売業者が輸入したビールは、日本人の取次人を通じて主に東京や横浜のビール販売店などで売られた。1872(明治5)年に新橋〜横浜間に開通した鉄道の駅の待合室には、洋酒を売る店があり、ビールもそこで売られていたと思われる。また、居留地近郊の観光名所の茶屋などでも、びんビールが販売されていた。 明治初年、輸入品や食料品を扱う日本人商人の中から、ビール販売事業に乗り出す人々が出てきた。1875(明治8)年6月24日付の『郵便報知新聞』には、東京・新橋の氷屋「新金屋」が、輸入ビールの大びんを売り出すという広告を出している。

同年には、新橋駅近くで金沢三右衛門がビール店を開業している。1878(明治11)年5月2日付『朝野新聞』の広告文の末尾には、「横浜ビール東京請売一手捌所」とあり、東京でスプリングバレー・ブルワリーのビールを扱っていたのは金沢三右衛門の新橋の店のみであったことや、「横浜ビール」の名で売り出されていたことが分かる。醸造所へ電報でビールを注文すると、注文した品が鉄道で新橋駅に届けられた。金沢三右衛門の店では、主に汽車で届いた樽詰ビールをびんに詰め替えて売っていた。また、びんビールのほかに、5ガロン(約19L)入りと10ガロン(約38L)入りの小樽も販売していた。この小樽を西洋料理店や牛鍋屋などが買って、コップ売りをした。また、近くの東京築地の居留地に住む外国人にもビールやワインを売っていた。

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