第二次世界大戦後の高度経済成長により国民所得が向上するとともに、増えた余暇時間を積極的に楽しもうという人々が増え、1961(昭和36)年にはレジャーブームが起きた。「レジャー」という言葉が流行語となり、特にハイキングやピクニック、海水浴、スキーなどアウトドアのレジャーが人気を博した。行楽地には人々が押し寄せ、スキー客は年間で100万人、登山客は224万人を突破した。これらの人々は行楽地にビールを持参したり、あるいは現地の売店でビールを買い求めた。
自然の中でビールを飲むことは、戦前から一部で行われていた。大正期から昭和初期にはハイキングが若い世代に流行し、ビールなどの飲み物と食べ物を持って野山に行く人々が現れた。会社員で作家だった水上瀧太郎は1926(大正15)年10月に発表したエッセイ「山を想ふ」で、「麦酒(ビール)と林檎を持つて直に姨捨に登つた」と記している。
戦前のハイキングやキャンプは、主に学生や比較的生活に余裕がある層が楽しむものだった。しかし第二次世界大戦後は地域の青年会、労働組合の会など、幅広い層がアウトドアに出かけるようになった。
レジャーブームの時代には、海のレジャーもより多くの人が楽しむようになり、海の家ではビールがよく飲まれた。
1958(昭和33)年に登場した缶ビールは、アウトドアレジャーを楽しむ人々に大歓迎された。1960(昭和35)年の「缶詰キリンビール」のポスターには、登山の仲間たちが缶ビールを片手に頂上で一息する写真が用いられている。なお、発売当初の缶ビールには缶を開けるのに専用の缶切りが必要だったが、1965(昭和40)年に
プルトップを採用した缶ビールが発売され、より手軽にアウトドアレジャーで缶ビールを楽しめるようになった。