(2)薬店でも販売されていたビール
明治10年代には日本人でビールを飲む人は限られており、ビールを扱う店の数も少なかった。ビールを買いたい人は新聞の広告を頼りに販売店を訪ねるか、郵便で配達を頼むといった手段しかなかった。また、販売店は顧客の不便をカバーするために1本でも自宅まで届ける、口を開けていないビールは引き取るなどのサービスを行った。
各国の輸入商がビールを盛んに輸入するようになった1886(明治19)年、特に熱心だったドイツの輸入商は、6月7、8日の『時事新報』に「各地方西洋酒店及薬舗に於て御購求奉願上候」と広告している。これによると、当時ビールは西洋酒店のほか、薬舗、すなわち薬店でも販売されていたようだ。
『新潟 ビール今昔物語』(松本定吉著/小売酒販組合新潟事務局発行)によると、新潟駅ができた1904(明治37)年頃、ビールは薬店の専売で、酒販店では扱っていなかったという。この地方ではビールは船か馬で運ばれ、薬店か、廻船問屋の流れをくむ店がビールを扱っていた。酒販店は地元の酒造業者と結びつきがあり、売れるかどうか分からないビールを扱うことには及び腰だった。鉄道の開通によって東京からの人の出入りが激しくなり、飲食店がビールを注文するようになった結果、新潟の酒販店でも少しずつビールの取り扱いが始まったという。
小売りの酒販店がびん詰ビールを置くようになったのは、東京では明治20年代になってからである。しかし、まだすべての酒販店にビールが置かれたわけではなく、購入する場合は、新聞の買い物案内の記事で販売店を確認しなくてはならなかった。1890(明治23)年5月30日の『時事新報』には、日本橋、神田、京橋、芝、浅草の5区で、有名な小売酒販店83軒が紹介されている。ちなみに、この記事によると、ビールの小売価格は以下のとおりである。
「英国バッス△印」 大びん30銭、小びん17銭
「独逸ストック」 大びん24銭、小びん15銭
「麒麟ビール」 大びん18銭、小びん11銭
「恵比寿ビール」 大びん18銭、小びん11銭
「桜田ビール」 大びん17銭、小びん10銭
なお、1887(明治20)年頃には、小売酒販店や洋酒店の中に、ビールをコップ売りする店も現れた。