江戸時代、西洋との交易はオランダのみに限られていた。長崎の出島にはオランダ商館があり、西洋文化は出島経由で入ってきた。その出島で江戸時代後期にビールが醸造された記録がある。
出島に滞在したオランダ人は、生活必需品の多くを本国からの船便に頼っていた。ビールも船で運ばれてくる品の一つであったが、1809(文化6)年からの数年間、ヨーロッパでの戦争の影響でオランダ船の来航が途絶えてしまう。ビールを欲した商館長の
ヘンドリック・ドゥーフは、1812(文化9)年に自らビール醸造を試みた。
ドゥーフの手記である『日本回想録』には、彼が当時の家庭百科辞書を参考にしてビールの醸造を試みたことが書き残されている。それによると、ビールの味がする液体はできたが、十分に発酵させることができず、ホップも手に入らなかったため3、4日しか保存できなかったという。
当時出島で生活していたオランダ商館員にとって、ビールはなくてはならないものだったようである。