古代メソポタミアや古代エジプトでは、紀元前3000年よりも前からビールがつくられていた。ヨーロッパでも紀元前からビールがつくられ、日常的に飲まれていた。ビールは5,000年以上前から人類に親しまれてきたことになるが、海を越えて日本にやってくるのは約400年前、江戸時代になってからのことである。
1613(慶長18)年6月にイギリス船・クローブ号が平戸(現・長崎県平戸市)に入港したときの積荷リストにビールが登場しており、これが日本における最も古いビールの記録とされている。しかし、これ以前にもポルトガル船、スペイン船、イギリス船が日本に来航しているため、日本人はもっと以前から“ビール”の存在を知っていた可能性もある。
日本人がビールを飲んだ記録が登場するのは、江戸時代中期になってからのことだ。8代将軍・徳川吉宗の時代である1724(享保9)年、阿蘭陀(おらんだ)通詞の今村市兵衛と名村五兵衛が
『和蘭(おらんだ)問答』という書物を著した。この中に、江戸を訪れたオランダ商館長ヨハネス・テイデンスらオランダ人たちが宿舎の長崎屋で食事をした際に出されたビールを飲んだ日本人の感想が記されているのだが、まったく口に合わなかったようだ。
「酒はぶどうにて作り申候。また麦にても作り申候。麦酒給見申候処、殊の外悪敷物にて、何のあぢはひも無御座候。名をビイルと申候」
(『和蘭問答』より)