大正時代から昭和初期にかけては広告宣伝が盛んだった時期でもある。ビール各社は、キャッチフレーズに工夫をこらし、さまざまな方法で
広告合戦を繰り広げるようになった。この頃のビール広告の代表は、ポスターや新聞広告といった紙媒体である。
ポスターは、明治期の日本では「絵ビラ」、「広告ビラ」あるいは「絵看板」と呼ばれ、まだデザインが確立していなかった。
1913(大正2)年に発売された「サクラビール」では、日本画家・北野恒富の描いた
美人画のポスターを、一説には2万枚とも7万枚とも言われる大量配布をしたと言われている。これは当時の印刷技術では、ありえないような枚数ではあるが、それだけ評判になったという事の表れなのだろう。
ほかのビール会社もこの頃から、宣伝媒体として大型ポスターを採用するようになる。「キリンビール」のポスターを数多く手がけた
多田北烏は、当時人気を集めたデザイナーの一人だった。商品アピールを第一とする発想の持ち主だった多田は、まず美人画ありきだったビールのポスターのデザインを、宣伝効果中心へと変えていくきっかけをつくった。
紙媒体以外の屋外広告では、アドバルーンや飛行船、ネオン広告などがこの頃普及した。
一方、飲食店やイベント会場での広告に目を向けると、ビアホールやカフェーでは、ポスターや社名を入れた短冊広告のほか、ジョッキやグラス、マッチ、コースター、手拭い、爪楊枝入れ、鏡、看板、椅子やテーブル、冷蔵庫までビール会社の社名やロゴが入ったものがあった。また、夏祭りや花見には、社名入りのうちわが配られ、ビール名の入った提灯やブランドマークを入れた樽も飾られた。人々がビールの広告に触れる機会は格段に増えた。