酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

時代別解説

明治19年〜明治45年(1886〜1912)

近代ビール産業の確立

(2)麦酒税の導入で中小業者が次々廃業
1901(明治34)年、政府は富国強兵政策に必要な資金を得るための課税強化の一環として麦酒税法を導入した。このビール税の導入は、資金力の乏しい中小ビール会社の経営に大きな影響を及ぼした。もともとイギリス風のビールの人気にかげりが見えてきたこともあり、イギリス風のビールをつくっていた中小ビール会社の大半は販売量を減らしていた。そこにビール税の負担が加わり、耐えきれず廃業していく会社が相次いだ。1900(明治33)年までに建てられたビール醸造所は日本全国に100社以上あったようだが、1901(明治34)年末にはわずか23社に減った。

一方、1899(明治32)年と1901(明治34)年の2度の輸入関税の引き上げで、輸入ビールは大きなダメージを受け、国産ビールが輸入ビールを圧倒することになる。

1906(明治39)年、大手3社の日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒が合同し、大日本麦酒株式会社が誕生した。またその翌年の1907(明治40)年には居留外国人が経営するジャパン・ブルワリー・カンパニーを継承し、日本人経営のビール会社として麒麟麦酒株式会社が創立された。

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