ビールは毎年のように増税が行われたこともあり、価格の上昇が続いた。1939(昭和14)年3月には、物品販売価格取締規則に基づく指定商品となるが、地方により価格が異なっていた。東京府では大びん1本40銭5厘と決められたが、物資不足や買い占めの影響があり、公定価格を無視したヤミ取引が盛んに行われた。1940(昭和15)年10月には価格が14都市とその他の地方の2本立てになり、都市が47銭、地方が48銭となった。また、同年には飲食店での価格が各府県知事により決められるようになる。ジョッキ1杯(500ml)が大びん1本の約1.3〜1.6倍であった。
1945(昭和20)年の終戦後も、ビールの価格は物資不足によるインフレも相まって、1949(昭和24)年まで高騰し続けた。ヤミ取引は終戦後も行われ、1947(昭和22)年8月には大びん1本の公定価格23円に対し、東京のヤミ価格は平均100円だったという。
ちなみに大びん1本の容量は、ビール税が1本単位で掛けられるようになったことから、1944(昭和19)年8月に3合5勺1才
(約633ml)に統一された。これは今日の大びんの容量に引き継がれている。小びんも約334mlに統一された。