1945(昭和20)年、太平洋戦争が終結すると、連合国軍の進駐が始まった。
ビール会社の工場はほとんどが戦災を免れたため、混乱の中でもビールの生産はすぐ再開された。しかし生産量は回復せず、しかもその多くは進駐軍へ優先的に無税で供給された。1946(昭和21)年にはビール生産量全体の3分の1、翌1947(昭和22)年には全体の4分の1が進駐軍用に出荷されている。
一方、日本人向けには戦後も配給制度はしばらく続けられた。しかし進駐軍用が優先されたため、1946(昭和21)年から翌年にかけて、日本人には1人当たり年間1.4本の配給しかなかった。なお1947(昭和22)年4月には飲食店の急増に伴い、業務用ビールに高い税をかけるようになった。その飲食店も7月には一斉休業を命じられたが、裏で営業していた店もあり、ますますヤミ取引が盛んに行われるようになった。
1947(昭和22)年の暮れには、少ない配給の中で毎年行われていた正月用の酒の特別配給が中止された。代わって
「特価酒」が自由販売されたが、ビール1本が100円と非常に高価であった。購入する愛飲家もいたが、特価酒はしだいに余るようになる。そうして余ったビールがヤミ取引に流れるという悪循環に陥った。
このように戦争はビールにも大きな影を落とした。ビール産業やビール愛飲家にとっての「冬の時代」が終わりを告げるのは、ビールの自由販売や
飲食店の営業が再開される1949(昭和24)年のことであった。