(2)大都市を中心に「ビール党」が出現
ビールは都市文化を象徴する飲み物として、この時代に新しく誕生したカフェーをはじめとした娯楽施設に広く浸透していった。またこの頃、ビールを好む人々を指して、「ビール党」という言葉も誕生した。1919(大正8)年1月号の雑誌『日本一』には「所謂『ビール党』という言葉が生れ」と記されている。
「ビール党」がビールを飲んだ場所は、カフェーやビアホールだけではなかった。大都市にはなくてはならない娯楽となった、ダンスホール、ビリヤード、喫茶店などでもビールが飲まれるようになった。
1930(昭和5)年に刊行された『哄笑極楽』という書籍には、コロッケやライスカレー、ロールキャベツなどの洋食を提供するカフェテリア形式の食堂でビールを運ぶ客を描いた漫画も見られる。大阪の戎橋にあった「南海食堂」の様子を描いたものであるが、この頃には「食事にビール」という習慣が生まれていたようである。
カフェテリア式食堂の様子(吉岡鳥平画/『哄笑極楽』現代ユウモア全集刊行会)